『エディントンへようこそ』映画レビュー|アリ・アスターが「ついこの間」を映画にしたとき
この映画をひと言で言うと
2020年、コロナ禍のアメリカを舞台にしたブラックコメディ。SNS、分断、陰謀論。誰もが正義を語り、誰もが相手を間違っていると信じている。その「嫌な感じ」をアリ・アスターが148分にまとめた。
作品の背景・前情報
監督・脚本: アリ・アスター
出演: ホアキン・フェニックス(ジョー・クロス)、ペドロ・パスカル(テッド・ガルシア)、エマ・ストーン(ルイーズ・クロス)、オースティン・バトラー(ヴァーノン・ジェファーソン)、ルーク・グライムス、ディードル・オコンネル、マイケル・ウォード ほか
ジャンル: ブラックコメディ/スリラー
上映時間: 148分
原題: Eddington
製作: A24
配給(日本): ハピネットファントム・スタジオ
公開日: 2025年12月12日
その他注目点: 第78回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品。アリ・アスターの長編4作目にあたり、『ヘレディタリー/継承』『ミッドサマー』『ボーはおそれている』に続く作品。前作に続きホアキン・フェニックスが主演。撮影はダリウス・コンジが担当。
あらすじ:
2020年、ニューメキシコ州の架空の町エディントン。ロックダウン下で不安と不満が渦巻く中、保安官ジョー・クロスは現市長との対立をきっかけに市長選への出馬を決意する。SNSを介した対立が激化する一方、妻ルイーズは陰謀論的な思想に傾倒していき、町全体は次第に制御不能な方向へ進んでいく。
作品のテーマについて
本作が扱っているテーマは非常に多い。SNS、集団圧力、レッテル貼り、フェイクニュース、炎上、陰謀論、カルト宗教、差別、ブラック・ライブズ・マター。コロナ禍以降、社会の表層に噴き出した問題が、ほぼ網羅的に並べられている。
ただし、それらは社会派映画のように整理されて提示されるわけではない。アリ・アスターはこれらの題材をブラックコメディとして歪ませ、混線させた状態で観客の前に差し出す。表面的には分かりやすいが、観終わったあとには「拾いきれていない何か」が残る。その構造自体が、現代の情報環境をそのまま写しているようにも見える。
表現について
映像の構図の美しさはA24作品らしい先鋭さを保っている。撮影のダリウス・コンジが切り取るニューメキシコの風景は、誇張とリアリティの境界線上に置かれている。マスク、街の様子、人々の距離感。どれも強調されているようで、決して誇張ではない。
事件が起こるまでの描写は丁寧で、やや長く感じた。ただ、その"溜め"があるからこそ、後半の転調は鮮明に効いてくる。展開は読めなくなり、体感時間は一気に縮まった。
登場人物たちは皆、自分が正しいと信じて疑わない。誰もが善意を根拠に動いており、その衝突がブラックコメディとして機能している。分断された社会の居心地の悪さを画面から直接感じる。
残った印象
この映画に詰め込まれているのは、現代特有の「なんとなく嫌な感じ」だ。誰もが正義を語り、誰もが相手を間違っていると思っている。その状況が笑えないコメディとして積み上げられていく。ダークコメディとしても社会風刺としても受け取れるが、どちらかに割り切れない。その宙づり感こそが本作の最大の特徴だろう。
主人公ジョーは、確かにエディントンという町を愛していた。だからこそこの物語は、単なる狂気や暴力の話では終わらない。
まとめ
『エディントンへようこそ』は、アリ・アスターがこれまで描いてきたテーマを、極めて現在進行形の題材に接続した作品だ。コロナ禍という「ついこの間」を、ここまで直接的に映画へ落とし込んだ例はまだ多くない。
考察の余地は意図的に大きく残されている。その余白は、深読みすれば陰謀論とも紙一重になり得るという皮肉。そこまで含めて本作の設計なのかもしれない。
暴力描写の強さから観る人を選ぶ作品ではある。それでも本作は、SNSと分断の時代をアリ・アスター流に切り取った作品として今後も語られていくだろう。「嫌な映画だった」と感じるなら、それはおそらく狙い通りだ。
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