映画『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』レビュー|クズで、口が上手くて、卓球だけは本物
この映画をひと言で言うと
卓球選手の話のようで、実際は「自分が最高だと疑わない男」の暴走記録。コメディとしても、クライムとしても見れる異形のエンタメ。ジョシュ・サフディがソロで放つ、A24史上最大のヒット作。
作品の背景・前情報
監督 | ジョシュ・サフディ |
|---|---|
脚本 | ジョシュ・サフディ、ロナルド・ブロンスタイン |
撮影 | ダリウス・コンジ(35mm) |
音楽 | ダニエル・ロパティン(OPN) |
美術 | ジャック・フィスク |
主演 | ティモシー・シャラメ |
共演 | グウィネス・パルトロウ、オデッサ・アザイオン、タイラー・ザ・クリエイター、ケビン・オレアリー、アベル・フェラーラ、川口功人 他 |
製作・配給 | A24 |
製作年 | 2025年 |
上映時間 | 149分 |
ジャンル | ドラマ、スポーツ、コメディ |
その他 | 第98回アカデミー賞9部門ノミネート(作品賞・監督賞・主演男優賞・脚本賞ほか)。ゴールデングローブ賞主演男優賞(ミュージカル/コメディ部門)受賞。 |
あらすじ | 1952年のニューヨーク。マーティ・マウザーは叔父の靴屋で働きながら、卓球の世界チャンピオンを夢見ている。誰もそれを本気にしていない。「卓球はスポーツではない」という時代に、彼は圧倒的な実力と皆無な自制心だけを武器に、ロンドンの世界大会への渡航費を工面しようとする。詐欺まがいの金策、妻ある女との不倫、ギャングとのトラブル。やることなすことぐちゃぐちゃになりながら、それでも前に進む。クライマックスは日本・東京での卓球対決。 |
本作は、実在した卓球選手マーティ・リースマンの回顧録を原案としている。監督のジョシュ・サフディがこの本を手に入れたのは2018年で、同年すぐにシャラメに持ちかけ、シャラメもその年から卓球のレッスンを始めた。構想から完成まで7年かかった作品だ。
作品のテーマについて
「50年代を描いた80年代の映画」という印象を受けた。
舞台は1952年のニューヨークなのに、劇中で流れる音楽は80年代のシンセポップ。映画のスコアも電子音主体で、50年代のウォームなジャズやロカビリーとは真逆の質感になっている。
これはミスキャストではなく、意図的なずらしだろう。この時代の錯誤を「自分がいるべき場所に決してたどり着けない男」の感覚として設計している。マーティは50年代にいるが、50年代にフィットしていない。どの時代に置かれても、自分だけの論理で動く人間だ。音楽のずれがそれを体で伝えてくる。
話の構造としては、「クズの主人公がやることなすこと上手くいかない」という一方通行の物語だ。分かりやすい。だからこそコメディとして見ることも、クライムとして見ることもできる。
表現について
卓球の映画といえば、松本大洋の漫画を原作にした『ピンポン』(2002年、曽利文彦監督)が真っ先に浮かぶ。あの映画はスローモーションやCGを多用し、「卓球を漫画的に見せる」演出が中心だった。本作はその対極にある。
シャラメ本人は「卓球コーチと6年間トレーニングを積んだ」と述べており、「本物に見えて、かつ精密に見えるレベルまで引き上げてもらった」と語っている。2018年にロワー・マンハッタンの24時間営業施設で卓球を始め、コロナ禍にはリビングの家具を全て撤去して卓球台を設置。『デューン』の砂漠ロケにも卓球台を持ち込んで練習を続けた。
撮影はドキュメンタリー的な複数カメラ方式を採用し、テレビ中継の定番である斜め45度のアングルを脱して、選手の真後ろからボールが迫ってくる視点なども取り入れている。実際の試合に近い緊張感がそのまま画面に出ており、不要なスローモーションで「映画的に整える」演出はほぼない。6年間の積み重ねがそこに見える。
35mmフィルムで撮っていることによる映像のザラつきも印象的だ。デジタルでは出ないテクスチャーがあり、50年代のニューヨークの汚さと湿気が画面ににじんでいる。シャラメの細い顎鬚、安っぽいコート、薄暗い路地。衣装と映像の温度が完全に一致していた。
シャラメについては、「ずっと口が上手くてやな奴」という感想がそのまま正しいと思う。繊細さや知性的な翳りは封印され、根拠なき自信だけで動く生き物になっている。ボブ・ディランを演じた前作『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』に続いて、汚れ役的な演技は彼の役者ステージを一段あげているように感じる。
日本描写の精度は高い。実際の日本で行われており、現役の卓球選手・川口功人氏が出演している。ハリウッドでよくある(よくあった)「謎の日本」ではなく、当時の雰囲気がちゃんと再現されていると感じた。
残った印象
クズ主人公の映画は数多くある。同じサフディ作品なら『アンカット・ダイヤモンド』のハワードも近い。ただ『アンカット・ダイヤモンド』のハワードが「ギャンブルへの依存が止められない」という自覚なき悲劇だとすれば、マーティには「卓球で世界一になりたい」という純粋な核がある。やり口は最低でも、動機だけはシンプルだ。
クライマックス、八百長試合として負けるよう指示された場面でマーティが本気の勝負に切り替えた瞬間。あそこだけが、この映画でマーティが「クズ」でなくなる場面だった。そこに至るまでの積み重ねがあるから、ちゃんと効く。
「クズ主人公」系譜の最新型と呼べる映画かもしれない。

