『SIRAT(シラート)』映画レビュー|砂漠が突きつける、どうしようもなさ
この映画をひと言で言うと
ハートフルなロードムービーと思って観ていたら、まったく別の場所に連れていかれる。カンヌ審査員賞・アカデミー賞ノミネートのスペイン・フランス合作。砂漠とレイブと死生観を、映像で叩きつけてくる115分。
作品の背景・前情報
監督 | オリベル・ラシェ |
|---|---|
脚本 | オリベル・ラシェ、サンティアゴ・フィロル |
出演 | セルジ・ロペス、ブルーノ・ヌニェス・アルホナ、ステファニア・ガッダ ほか |
製作 | ペドロ・アルモドバル(エル・デセオ)ほか |
撮影 | マウロ・エルセ |
音楽 | カンディング・レイ |
ジャンル | ドラマ/ロードムービー |
その他注目点 | 第78回カンヌ国際映画祭審査員賞含む4冠。第98回アカデミー賞 国際長編映画賞・音響賞ノミネート。ドルビーアトモス設計。タイトル「シラート」はアラビア語で「道」、宗教的には審判の日に天国と地獄の上に架けられる細い橋を意味する。 |
あらすじ | 失踪した娘マルを探す父ルイスと息子エステバンは、モロッコの山岳地帯から砂漠の奥地へと車を走らせる。現実と幻覚が混濁するような野外レイブの会場を転々とし、娘が向かったとされる次のパーティを追いながら、2人はどこまでも続く荒野へと引き込まれていく。 |
作品のテーマについて
序盤は完全にロードムービーの文法で動く。父と息子、そしてレイブの参加者グループが少しずつ打ち解けていく過程は、ハートフルな展開への期待を自然に積み上げる。だからこそ、中盤以降の転換が効く。
テーマとして明確に語られることはほぼない。死生観、生きること死ぬこと。人間の力ではどうにもならない理不尽な状況を、ただ突きつけられる構造だ。
「シラート」という橋の比喩は、映画冒頭のテロップで提示される。天国と地獄の間に架けられた細い橋。それを渡れるかどうかを問われているのが、劇中のキャラクターなのか、観客なのか、あるいは両方なのか。天国とはどこなのか。劇中渡った先は天国なのか。さまざまな問いが残る作品だ。
モロッコという舞台選択にも含意がある。序盤、軍隊がレイブパーティーに介入し解散を促す場面がある。作中には戦車が運ばれていく描写も挿入されており、単なる背景としての砂漠ではなく、政治的・軍事的な緊張を帯びた土地として意識的に選ばれていることは読み取れる。モロッコの政治事情に対する具体的なメッセージが含まれていそうだ。
表現について
砂漠の撮影が圧倒的だ。アバンタイトルからタイトルが表示される映像が特に印象的だ。砂漠の映像は荒々しさと静けさが同居している。広大な大地の前で人間がいかに小さいかを、説明ではなく画角と構図で見せる。哀しさと憤りと、どこか奇妙な優しさが同時に漂う映像で、その感触は終映まで持続する。
音響設計はこの映画の核心の一つだ。レイブシーンで鳴り響くテクノ・ハウスはもちろん、砂嵐や豪雨、車内の環境音に至るまで、音が映像と対等な語り手として機能している。ドルビーアトモス設計であることは、観る環境で体験の密度が変わることを意味する。可能であれば音響設備の整った劇場での鑑賞を選ぶべき作品だ。
残った印象、そしてこの映画の位置づけ
観終わった直後は放心に近い状態になる。いい意味で「なんだこの映画は」という感触だ。
タイトル「シラート」が意味する、天国と地獄の間に架けられた細い橋。これは地獄巡りのような旅だ。父と息子が砂漠を進むほどに、状況は救いから遠ざかっていく。
『ファニー・ゲーム』などの、いくら足掻いてもどうしようもない理不尽な状況を、延々と突きつけられる構造に近い後味があった。鬱展開・鬱映画と呼ばれるジャンルの感情的な重さを持ちながら、映像の美しさが不思議な引力を作っている。
比較対象として『マッドマックス』が頻繁に挙げられるが、砂漠でのロードムービーという共通項以外に実質的な接点は薄いと感じた。むしろギャスパー・ノエの『クライマックス』(レイブカルチャーを入口にして人間の狂気へ向かっていく構造)に近い感触がある。そこにアメリカンニューシネマ、『イージー・ライダー』的な「どこへ向かうかわからない旅の哀愁」が重なる。
観る人を選ぶ作品であることは間違いない。エンターテイメント的な快楽や明確な物語の回収を求める観客には合わない。アート映画として考察の余地を楽しめる観客、理不尽な展開を受け止められる観客には、強く刺さる。カルト的な残り方をする作品になるだろうというのが、鑑賞後の率直な感触だ。
