『スター・ウォーズ マンダロリアン・アンド・グローグー』映画レビュー|シリーズの入り口を担う一作

『スター・ウォーズ マンダロリアン・アンド・グローグー』映画レビュー|シリーズの入り口を担う一作

この映画をひと言で言うと

スター・ウォーズを一度も観たことがない人でも入れる、シリーズの入り口として設計された一作。ドラマ『マンダロリアン』の劇場版だが、その親切さは「初めての観客」にこそ向いている。

作品の背景・前情報

シリーズ約7年ぶり、『スカイウォーカーの夜明け』(2019年)以来となる劇場長編。もともとはDisney+のドラマ『マンダロリアン』として展開してきたディン・ジャリンとグローグーの物語を、そのまま大画面に持ち込んだ格好だ。監督のジョン・ファブローと製作総指揮のデイブ・フィローニは、いずれもドラマ版を立ち上げた中心人物であり、本作はスピンオフの映画化という位置づけになる。

日本では2026年5月22日公開。国内興行はかなり好調。

監督

ジョン・ファブロー

脚本

ジョン・ファブロー、デイブ・フィローニ、ノア・クロア

製作総指揮

デイブ・フィローニ

音楽

ルドウィグ・ゴランソン

出演

ペドロ・パスカル(ディン・ジャリン/マンダロリアン)、シガニー・ウィーバー(ウォード大佐)、ジェレミー・アレン・ホワイト(ロッタ・ザ・ハット/声)

ジャンル

SF/スペースアドベンチャー

製作・配給

ルーカスフィルム/ディズニー

公開・上映時間

2026年5月22日/132分

あらすじ

帝国が崩壊し、銀河には帝国軍残党の軍閥が散らばる混沌の時代。新共和国は、伝説の賞金稼ぎディン・ジャリンと、その手元にいるフォースの力を秘めた幼いグローグーに助けを求める。危険に満ちた銀河をめぐる旅の中で、二人は次第に親子のような絆を深めていく。

グローグーは実物のパペットで演じられている点、マーティン・スコセッシが声で友情出演している点も注目材料だ。音楽のゴランソンは『クリード』シリーズ、『ブラックパンサー』『オッペンハイマー』、ドラマ版マンダロリアンのテーマを手がけてきた作曲家である。

テーマは「親子」、そして「親を越えること」

この映画が中心に据えているのは、テーマ論を掲げるより先に、まず機能だ。スター・ウォーズを知らない人、ドラマ版を観ていない人に対して、とにかく親切に作られている。旧三部作の知識も前提にしない。誰が観ても迷子にならない導線が引かれている。

その上で、通底しているのは「親子」の主題だ。ディン・ジャリンとグローグーの、血のつながらない親子の絆。ただ、それだけではない。

(ネタバレ注意)新キャラクターとして登場するロッタ・ザ・ハットは、あのジャバ・ザ・ハットの息子だ。ジャバという巨大な存在を親に持つ息子が、どう動き、何を感じるか。その造形が良かった。父という大きな影と、そこから離れて自分を立てようとする感情が描かれていて、ディン・ジャリンとグローグーの縦の関係と響き合う。「親子の絆」だけでなく、「親を越える、親と決別する」という運動が、この映画には流れている。

この読みは、監督自身の言葉と一致する。ファブローはロッタを、『クリード』のアドニス・クリードになぞらえて語っている。偉大な父の名の下で自分を確立しようとする者、という位置づけだ。有名な父を持つ子どもが何を背負うのか。監督はそこに面白さを見出していると明言している。だからロッタの造形は、単なる客寄せのファンサービスではなく、映画の主題に接続された配置になっている。「行動原理が曖昧」「爽やかすぎる」という見方も国内レビューにはあるが、親子というモチーフの一角として置かれていると捉えると、役割は明確だ。

音楽が継承していた「新しいスター・ウォーズ」

表現で印象に残ったのは音楽だ。ゴランソンによるマンダロリアンのテーマは、ジョン・ウィリアムズを継承しつつ、これまでのスター・ウォーズになかった音を鳴らしている。スター・ウォーズらしさを保ったまま、新しいスター・ウォーズの雰囲気が音から漂ってくる。この「継承と更新の両立」が、シリーズの外縁を広げる本作の性格そのものと重なっていた。Rotten Tomatoesでも、アクションの盛り上げにゴランソンの音楽が効いているという批評が複数見られる。

グローグーは実物のパペットで演じられている。CGでは出せない可愛さと動きがあり、この質感は本作の強みだ。ロッタがCGで作られているのと対照的に、グローグーの生の存在感が画面に残る。

メカ描写も見どころで、往年のAT-STなど帝国側のメカが登場する。旧作を通ってきた観客ならニヤリとする配置だ。アクションでは特に、序盤・開幕のマンダロリアンの立ち回りが見応えがある。シリーズお決まりのカーチェイス的な見せ場も含めて、「スター・ウォーズをちゃんとスター・ウォーズしている」手触りがあった。

上映フォーマットは、通常の字幕版、IMAX 3D4DX吹替の2形態で鑑賞した。字幕・吹替のどちらも良かった。

前提知識で姿を変える映画、それでも入り口として残る

この映画で最も語る価値があるのは、二度の鑑賞で印象がはっきり変わったことだ。

1回目はドラマ版をほとんど観ていない状態で観た。この時はとても楽しめた。純粋な冒険活劇として成立していて、スター・ウォーズの入り口として申し分なかった。

2回目の前に、ドラマ版『マンダロリアン』を全話観た。その上で観直すと、印象が変わる。映画としては弱い。内容としてはドラマの延長線上、ドラマ2話ぶんのスペシャル版という感触に近い。特にドラマ版はシーズン2でかなり盛り上がる山があり、本作はそこを上回れなかった。

同じ映画が、観客の前提知識によって別物として立ち上がる。劇場版としての飛躍を期待した人が肩透かしを食らう、という感想は理解できる。だが、その物足りなさは、裏を返せば「未見者への親切さ」と同じ設計から出ている。踏み込みを抑え、一つのエピソードを時間をかけて描く作りは、初めての観客には最適で、シリーズを追い切った観客には物足りない。この非対称は、欠点というより本作の狙いの表れだと見るべきだろう(推測だが)。

よく本作の参照元と言われている『子連れ狼』。その借用にとどまらず、スター・ウォーズの銀河を外へ拡張する方向で機能していた。本編を補完し、世界の縁を広げて見せる一作だ。

総じて本作は、スター・ウォーズの入り口として、そして銀河の拡張として残る作品だ。これまでスター・ウォーズに触れてこなかった人が、まず最初に触れる一本になりうる。ここから旧三部作へ、あるいはドラマ版へと入っていく導線として、かなり良くできている。実際、ドラマ版の方がじっくり描いているぶん、この映画を通ってからドラマに入る順路は理にかなっている。劇場版としての強いテーマ性や普遍性を求めると物足りなさは残るが、それはこの映画が最初から「入り口」であろうとした結果でもある。今後のスター・ウォーズの間口を担う作品として位置づけられていくのではないか。少なくとも、観る人を選ばないという一点において、本作は明確に成功している。

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