ヨルゴス・ランティモスという映画監督|笑えない可笑しさと、証明できない世界
「この人、また変な映画撮ったな」と思わせながら、気づけばファンになっている。ヨルゴス・ランティモスという監督は、そういう引力を持った作家だ。
2024年の『哀れなるものたち』でアカデミー賞を席巻し、日本でも一気に認知度が上がった。だがその作家性は、一作だけでは語りきれない。ギリシャのインディーズから始まり、英語圏に渡り、今や世界映画の最前線にいる。この記事では、そのキャリアの流れと作品の読み方を整理しておく。
ギリシャの奇妙な波から始まったキャリア
ヨルゴス・ランティモスは1973年、アテネ生まれ。若い頃はコマーシャル制作で生計を立てていた。
映画監督としての本格的な評価が始まったのは2009年、長編『籠の中の乙女』がカンヌ国際映画祭「ある視点」部門でグランプリを受賞してからだ。「家の敷地から一歩も出ずに育てられた子どもたち」という設定で、家族という閉鎖的な権力構造をグロテスクなまでに描いた。アカデミー外国語映画賞にもノミネートされ、世界的な注目を集める。
この頃のランティモスは「Greek Weird Wave(ギリシャの奇妙な波)」と呼ばれるムーブメントの中心にいた。2010年代初頭のギリシャは経済危機の真っ只中にあり、その閉塞感や社会規範への違和感が、一群の監督たちの作品に奇妙なリアリティとして滲み出ていた。2011年、ランティモスはロンドンへ移住する。
英語圏への進出と作風の変化
英語圏での初作品は2015年の『ロブスター』。独身者は45日以内にパートナーを見つけなければ動物に変えられてしまうというディストピアを描いた作品で、カンヌ審査員賞を受賞した。コリン・ファレル、レイチェル・ワイズという英語圏のキャストを迎えながら、ランティモス独特の無機質さと不条理はそのままだった。
2017年の『聖なる鹿殺し』、2018年の『女王陛下のお気に入り』と続き、それぞれカンヌ脚本賞、アカデミー賞10部門ノミネートという評価を得た。このフェーズで、ランティモスは「インディーズの鬼才」から「世界映画の主要作家」へと確実に位置を変えていった。
『哀れなるものたち』で到達した場所
2023年の『哀れなるものたち』は、ランティモスのキャリアにおける一つの頂点だ。第80回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、第96回アカデミー賞では主演女優賞(エマ・ストーン)を含む4部門を受賞した。
胎児の脳を移植されて蘇った女性・ベラが自由と自己を獲得していく物語は、それまでのランティモス作品に比べると圧倒的に「楽しめる」映画に仕上がっていた。奇妙さとエンタメが高い次元で融合し、映像の美術的完成度も突出していた。
一貫したテーマ:「社会が押しつける規範」への懐疑
作品ごとに舞台や設定は大きく変わるが、ランティモスが繰り返し問うているテーマは一貫している。社会が「当たり前」として押しつける規範や権力構造への懐疑、そしてその中で人間がどう自由を奪われ、あるいは奪い返そうとするか。
『籠の中の乙女』では家族、『ロブスター』では恋愛の強制、『女王陛下のお気に入り』では宮廷政治。舞台は変わっても、そこで描かれるのは常に「誰かによって決められたルールの中で生きる人間」の姿だ。
もうひとつの特徴は、笑えない可笑しさ。シチュエーションとしては笑えるのに、笑えない状況になっている。ブラックコメディというより、笑いを武器にした批評とでも言うべきものが、彼の映画には常に流れている。
最新作『ブゴニア』と「証明できない世界」
2026年2月公開の『ブゴニア』は、韓国映画『地球を守れ!』(2003年)を原作に、アリ・アスターとのタッグで作られた。主演はエマ・ストーンで、宇宙人と交信するために髪を使っているという設定のもと、主人公は坊主にされる。エマ・ストーンは実際に剃髪し、ランティモス本人も連帯して一緒に坊主にしたというエピソードが話題になった。
「ブゴニア」とは古代地中海の信仰に由来する言葉で、牛の死骸から蜂が生まれるという考えのことを指す。昔の人は蜂がどこから来るかわからず、死骸の傍に虫が湧く様子を見て、そう信じるようになったとされている。生と死の循環、蜂の巣のような社会・共同体の秩序を象徴する概念として語られてきた言葉だ。このタイトルを知った上で映画を見ると、作品の意図がじわじわと見えてくる。
この映画にはVistaVisionというアナログのフィルム撮影手法が使われている。通常の35ミリフィルムを横向きに使うことで通常の倍近い画角をフィルムに収められる撮影方式で、コストはかかるが独特の質感と解像度が生まれる。特に終盤、絵画のような構図の映像が続く場面でその効果が際立つ。
都市伝説、陰謀論、宗教、科学的合理性。作品全体に「証明のしようがないものをどう扱うか」というテーマが通底している。「目の前の人が宇宙人ではないと証明できるか」という問いは、コロナ禍以降の情報環境や社会的分断とも響き合う。エンタメとしての完成度が高く、ランティモスをまだ観たことがない人の入口としても機能する一本だ。
まず何を観るか
『哀れなるものたち』(2023)
最も「楽しめる」入口。映像・美術・衣装の完成度が高く、エンタメとしても成立している。ランティモスの名前を初めて聞いた人はここから。
『ブゴニア』(2026)
エンタメ寄りでテンポもよく、現在のランティモスを知るのに最適。アリ・アスターとの共同製作という意味でも、今この時期に観ておく価値がある。
『女王陛下のお気に入り』(2018)
歴史劇の形を借りた権力闘争。ランティモス作品の中で最も間口が広く、物語として掴みやすい。
この3本を観て面白いと感じたなら、原点としての『籠の中の乙女』(2009)に遡るといい。ランティモスが何を問い続けているかが、そこに最も生々しく残っている。
各作品の詳細は → [ヨルゴス・ランティモス フィルモグラフィー]
