『新世紀エヴァンゲリオン』と1995年の空気|時代が生んだ、時代を超えた作品

『新世紀エヴァンゲリオン』と1995年の空気|時代が生んだ、時代を超えた作品

1995年という年は、何かが終わった年だった。

1月17日、阪神・淡路大震災。3月20日、地下鉄サリン事件。バブルが弾けて数年が経ち、「豊かな日本」という感覚がじわじわと崩れていた時期に、社会の根底を揺さぶるような事件が相次いだ。そして同じ年の10月、ひとつのアニメが放送を開始する。

『新世紀エヴァンゲリオン』。

あれから30年が経とうとしている今も、この作品は語られ続けている。なぜこれほど長く、深く刻まれているのか。それを考えるとき、1995年という時代の文脈を抜きにしては語れない。

1995年という特異点

阪神大震災とオウム真理教事件が重なった1995年は、日本人が当たり前のように信じていた「安全な日常」という前提が揺らいだ年だった。さらにその先には「1999年7月、人類は滅亡する」というノストラダムスの大予言が漠然と控えていた。今となっては笑い話だが、当時の空気の中ではそれも「世紀末の不安」のひとつとして混在していた。当時を振り返って、日常に亀裂が入り不気味なものが露出した時代だったという話も目にする。

そこに登場したのが、「セカンドインパクト」という架空の大災害後の世界を舞台にしたアニメだった。日常の中に破滅と戦いが紛れ込み、14歳の少年少女が世界の命運を背負わされる。フィクションの設定でありながら、現実の「いつ何が起きるかわからない」という感覚と、奇妙に共鳴していた。

新世紀エヴァンゲリオン

庵野秀明という作家の場合

作品を語る前に、作った人間について触れておく必要がある。

監督の庵野秀明は、前作『ふしぎの海のナディア』を終えた後、燃え尽き症候群のような状態になっていたと語っている。「精神的にも体力的にも壊れて、鬱だったんだと思います」。本人のインタビューにある言葉だ。そのどん底から「自分ひとりでやるしかない」と企画を立ち上げたのが、エヴァだった。

碇シンジがエヴァに乗ることを拒否する。父親に認められたいが、怖い。戦うことへの意味を見出せない。これらは、庵野が自分の内面を主人公に直接投影していたと言われている。「エヴァに乗る」ことは「エヴァを作る」ことと同義だ、という解釈は、作品を知れば知るほど説得力を持つ。

当時のアニメとしては異質なほど、登場人物の内面と心理描写に時間が割かれた。戦闘シーンより、キャラクターが沈黙する時間の方が長いこともある。それは娯楽として計算されたものではなく、作家の苦悩がそのまま画面に出てきた結果だったのではないか。

なぜあの時代に「刺さった」のか

当時の視聴者の多くは、自分たちの日常に入った亀裂の正体を、この作品が答えてくれるかもしれないという期待を抱いていたという話も聞く。

オウム真理教の事件も、震災も、言葉で整理できないまま社会に渦巻いていた。そこに「謎が謎を呼ぶ」構造を持ったアニメが現れ、死海文書、人類補完計画、使徒といった言葉が連なった。意味が分からないまま引き込まれ、考察が広がった。当時普及しはじめたインターネットもその拡散を加速させた。

ただ、エヴァが刺さった理由は時代の不安だけではない。「自分は他者に理解されない」「他人と関わることが怖い」という、思春期の孤独や自己否定の感覚が、シンジを通じて驚くほど正確に描かれていた。それは1995年固有の感覚ではなく、どの時代の14歳にも存在するものだ。だからこそ今も見られ続けている。

新世紀エヴァンゲリオン

今、エヴァを見るということ

1995年を知らない世代がエヴァを見ると、時代の「共鳴」は薄れる。震災もオウムも、世紀末の不安も、知識としては知っていても体感としては持っていない。それが「刺さらない」人を生む一因だとも言われる。

一方で、時代を超えて刺さる部分もある。シンジの「乗りたくない」という言葉、他者との繋がりを求めながら傷つくことへの恐怖、「自分は本当にここにいていいのか」という問い。これらは普遍的だ。

2021年公開の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』で、庵野は25年越しにひとつの答えを出した。結論だけ言えば、それはシンジを「現実」へと送り出すことだった。アニメの世界に留まることへの拒否、「外に出ろ」というメッセージ。それは1997年の旧劇場版でも試みていたことだったが、25年後に庵野自身が別の場所に立って、ようやく穏やかな形でそれを描いた。

作品が完結するのに、監督の人生もまた時間を必要とした。

エヴァが残したもの

エヴァ以降、「セカイ系」と呼ばれる作品群が生まれた。主人公と世界が直結し、内面の葛藤が世界の命運に結びつく構造。その起点がエヴァだとされている。

アニメビジネスの観点でも、映像ソフトの売上やメディアミックス展開において新しいモデルを切り開いた作品とされている。文化的・商業的な影響という意味でも、後の日本のアニメ産業の形を変えた作品のひとつだ。

ただ、最も重要なことは数字や影響力の話ではない。庵野秀明という一人の作家が、ぼろぼろの状態で自分の内面を全部ぶつけて作った作品が、時代の不安を抱えた無数の人間と共鳴した。その事実が、この作品の核心だと思う。

新世紀エヴァンゲリオン

庵野なきエヴァへ

2021年の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は、シリーズの完結と銘打たれていた。庵野はその後、次の作品を「誰かに託したい」と各所で語っていたという。

そして2026年2月23日、エヴァ30周年を記念するフェスの最終日に、完全新作シリーズの制作が発表された。監督は鶴巻和哉と谷田部透湖、シリーズ構成・脚本はゲーム『NieR』シリーズで知られるヨコオタロウ、制作はスタジオカラーとCloverWorksという布陣だ。庵野の名前はクレジットにない。

鶴巻和哉はTVシリーズ時代から副監督としてエヴァに関わり続けてきた人物で、庵野とは長年の盟友にあたる。エヴァを最もよく知るもう一人の人間が、初めて正式にその舵を握ることになる。

現時点では内容も公開時期も一切明かされていない。庵野の刻印から作品が自由になったとき、エヴァは何になるのか。あるいは、庵野を切り離しても「エヴァ」であり続けられるのか。それ自体が問いとして浮かび上がってくる。

1995年から始まった物語が、作家の手を離れて次のフェーズへ向かう。この先エヴァがどう歩んでいくのかは、まだ誰にも分からない。

 

画像:©カラー/Project Eva.

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