OASISとは何者か|バイオグラフィとディスコグラフィで辿るマンチェスターの兄弟
2024年8月27日、OASISの公式サイトにひとつの声明が掲載された。「銃声は止んだ。星が揃った。長い待ちは終わった」そう書かれていた。15年ぶりの再結成の知らせだった。
世界中のファンが歓喜し、ツアーのチケット争奪戦は各国で混乱を招いた。なぜこのバンドはいまだにこれほどの熱量を持ち続けるのか。バイオグラフィとディスコグラフィを軸に辿る。
メンバー
名前 | 担当 |
|---|---|
Liam Gallagher | ボーカル |
Noel Gallagher | リードギター、ボーカル、ソングライティング |
Paul "Bonehead" Arthurs | リズムギター(1991〜1999、2025〜) |
Paul "Guigsy" McGuigan | ベース(1991〜1999) |
Gem Archer | リズムギター(1999〜2009、2025〜) |
Andy Bell | ベース(1999〜2009、2025〜) |
ソングライティングは実質的にNoel Gallagher一人が担い続けた。
結成からCreation Records契約まで
OASISの前身は「The Rain」というバンドだ。1991年、マンチェスターでギタリストのPaul Arthurs(Bonehead)、ベースのPaul McGuigan(Guigsy)、ドラムのTony McCarrollが組んだグループに、ボーカルとしてLiam Gallagherが加入した。バンド名をOASISに変えたのもLiamで、兄Noelと共有していた子供部屋の壁に貼られたInspiral Carpetsのツアーポスターにあった会場名「Oasis Leisure Centre」から取った。
Noelは当時、Inspiral Carpetsのローディーとして働いていた。1991年、マンチェスターのBoardwalkクラブで弟のバンドを観たNoelは、参加の条件として「自分が唯一のソングライターになること」と「本気で成功を目指すこと」を提示した。Liamはそれを受け入れた。
転機は1993年5月。バンドはグラスゴーのKing Tut's Wah Wah Hutというクラブに出演するため、マンチェスターからヴァンを借りて6時間かけて向かった。会場に着くと、名前がリストにないという理由で入場を拒否された。押し切って出演したそのステージを、Creation Recordsの創設者Alan McGeeがたまたま観ていた。即日、契約のオファーが出た。
ディスコグラフィ
Definitely Maybe(1994年)
1994年8月30日リリース。UKアルバムチャートで初登場1位を記録し、当時のイギリスにおける最速売上のデビューアルバムとなった。
Noelが書いたのは、ロックスターになることへの渇望を正面から歌う曲だった。ひねりも自己批判もない。「Rock 'n' Roll Star」「Live Forever」「Supersonic」「Cigarettes & Alcohol」タイトルを並べるだけで、このアルバムが何を鳴らしていたかは伝わる。
ちょうどアメリカではNirvanaが率いるグランジが支配していた時代だ。NMEはNoelについて「クラシックな伝統のポップ職人」と評した。世界中の「なぜ生きているのか」という問いに対して、このアルバムは「ロックスターになるためだ」と答えた。
グランジの暗さとは対極の、自信と高揚感に満ちた作品だった。
(What's the Story) Morning Glory?(1995年)
翌年、10週連続UKチャート1位。全世界で2200万枚以上を売り上げた。
「Wonderwall」「Don't Look Back in Anger」「Champagne Supernova」。前作の荒削りなガレージ感から、より磨かれたバラード寄りのサウンドへ移行した。批評家からは「前作に劣る」という声もあったが、後年の評価は逆転した。UKの歴代最高売上アルバムで5位に位置する。
この年、BlurとのUKシングルチャートでのし烈な争い(いわゆる「Battle of Britpop」)が起き、Oasisが2位となった。一方で、1996年8月のKnebworthでの2夜連続公演には計25万人が来場し、250万人以上がチケットを申し込んだ。これはイギリス史上最大の野外コンサートへの需要として記録されている。
Be Here Now(1997年)
1997年8月21日、発売初日に42万4000枚を売り上げ、当時のUK史上最速販売アルバムとなった。初期レビューは軒並み絶賛。Qは「コカインを音楽にしたもの」と評した。
しかしそのコメントは批評ではなく実態の描写だった。セッションは薬物と口論に満ちていた。曲は長大化し、ギターのオーバーダブが幾重にも重なった。Noelは後に「bland」「fucking shit」と切り捨てた。
発売直後から中古レコード店への返品が続出し、「最も中古店に持ち込まれたアルバム」という不名誉な記録を残した。ブリットポップの頂点であり、崩壊の始まりでもあった作品だ。
Standing on the Shoulder of Giants(2000年)
1999年の録音中、創設メンバーのBoneheadとGuigsyが相次いで脱退した。2人はGem ArcherとAndy Bellに交代された。また、レーベルのCreation Recordsも閉鎖し、Gallagher兄弟は自身のレーベルBig Brother Recordingsを設立した。
サウンドはより実験的・サイケデリックな方向へ。前2作のブリットポップ的な明快さから距離を置いた作品だが、UKチャートでは1位を記録した。
Heathen Chemistry(2002年)
新メンバーを加えた初のアルバム。Liam Gallagherが初めて複数の楽曲を作曲者としてクレジットされた。バンドのサウンドはよりシンプルなロック路線に戻り、「The Hindu Times」「Stop Crying Your Heart Out」がヒットした。
UKチャート1位。「返り咲き」という評価もあったが、前2作ほどの文化的インパクトはなかった。
Don't Believe the Truth(2005年)
多くの批評家が「Be Here Now以降のベスト作」と評した復調作。Liam、Gem Archer、Andy Bellがそれぞれ楽曲を提供し、バンドとしての一体感が感じられる仕上がりだった。
「Lyla」「The Importance of Being Idle」がUKシングルチャートで1位を獲得。Noelは後にこのアルバムを「第2期OASISのベスト」と語っている。
Dig Out Your Soul(2008年)
2作目以降で最も実験的なアルバムという評価が多い。サイケデリックとロックが交差し、前作よりも音響的に凝った作りになった。UKチャート1位で、批評的にも好評だった。
しかしこのアルバムのツアー中、2009年8月のパリ・ロック・アン・セーヌ公演の直前、ノエルとリアムが楽屋で衝突した。公演はキャンセルされ、当日夜にNoelは声明を発表した。「Liamとこれ以上1日も働くことができない」。これがOASIS解散の瞬間だった。
解散からの16年
残ったメンバーはBeady Eyeを結成し、2枚のアルバムを出したのち2014年に解散。LiamはソロキャリアとしてAS You Were(2017年)、Why Me? Why Not.(2019年)、C'MON YOU KNOW(2022年)をリリースし、いずれも高い評価を得た。NoelはNoel Gallagher's High Flying Birdsを率いて精力的に活動を続けた。
ふたりは長くあらゆるメディアで互いを批判し合い、再結成の可能性を否定してきた。
再結成と2025年ツアー
2024年8月27日の発表を経て、2025年夏、Oasis Live '25 Tourが開幕した。ツアーはカーディフ、マンチェスター、ロンドンなどUK・アイルランドを中心に展開し、その後北米、オセアニア、南米、アジアへと拡大した。
日本公演は2025年10月、東京ドームにて2公演が行われた。セットリストは1st〜3rdアルバムの楽曲を中心とした構成で、アンコールはWonderwall、Champagne Supernova で締めくくられた。東京ドーム公演の詳細はライブレポートに記録している。
ツアーのラインナップにはLiam、Noel、Bonehead(Arthurs)、Gem Archer、Andy Bellが名を連ねた。創設メンバーのBoneheadが26年ぶりに戻ったことも話題になったが、本人は日本公演への参加は叶わなかった。
どこから聴くか
『Live Forever』(Definitely Maybe収録):OASISが何者かを最初に掴むには、この曲が最短距離だ。3分半で、このバンドの核心がすべて入っている。
『Don't Look Back in Anger』(Morning Glory収録):Noelがボーカルをとる数少ない楽曲のひとつ。「Wonderwall」と並ぶ代表曲だが、この曲のほうがバンドの深みを感じさせる。
『Whatever』(シングル、The Masterplan収録):「OASISで一番好きな曲は?」という問いに対して、多くのファンがこの曲を挙げる。アルバム未収録のシングルだが、B面集『The Masterplan』で聴ける。

