トリップホップ
CULTURE

トリップ・ホップとは何だったのか|名前を拒否されたジャンルの正体

「トリップ・ホップなんて言葉はナンセンスだ」Portisheadのジェフ・バーロウはそう言い放った。Massive AttackもTrickyも同じ立場をとった。自分たちを生んだジャンル名を、当事者全員が公然と嫌う。こんな音楽ジャンルは、他にほとんど存在しない。

なぜアーティストたちはその名を嫌ったのか。そして「トリップ・ホップ」と呼ばれた音楽は、いったい何だったのか。

  • トリップ・ホップとは、1990年代前半にイギリスのブリストルを中心に生まれた音楽。ヒップホップのビートに、ダブ、ジャズ、ソウル、古い映画音楽のサンプリングを重ねた、遅く沈んでいくようなサウンドを指す
  • 代表的なアーティストはMassive Attack、Portishead、Tricky、DJ Shadow
  • 名前は1994年に音楽誌が付けたもので、当のアーティストたちは今もこの呼び名を嫌っている

名前の来歴

「トリップ・ホップ」という言葉が初めて活字になったのは、1994年のイギリスの音楽誌Mixmagだ。ジャーナリストのアンディ・ペンバートンが、アメリカ人DJであるDJ Shadowの楽曲を評するために使った言葉で、ヒップホップのビートを土台にしながらも、まるで意識がどこかへ旅立つような(トリップするような)感覚を持つ音楽、という意味合いだった。

その後この言葉はブリストルのバンドたちに貼り付けられていった。しかし当のアーティストたちからすれば、後からレコード会社や音楽ジャーナリストが「市場を作るために」発明したラベルに過ぎなかった。彼らは確かに同時代的に似た音楽を作っていたが、「トリップ・ホップをやろうとして、こうなった」わけではなかった。

その反発は正直な話でもある。ジャンル名とは本来、外側からの整理のための言葉だ。

ブリストルという場所

ブリストルはイギリス南西部の港町だ。奴隷貿易の中継地として長く栄えたこの都市には、カリブ海系移民コミュニティが深く根を張っており、レゲエやダブのサウンドシステム文化が生活の中に浸透していた。パンクの文化的な衝撃も早くからこの街を通過し、多文化的でDIY精神の強い土壌が育っていた。

1980年代のブリストルはサッチャー政権下のイギリスで最も荒れた都市のひとつだった。失業率は10%を超え、1980年には警察の強制捜査をきっかけにセント・ポールズ地区で暴動が起きた。ロンドンのトレンドから離れた場所で、若者たちは自分たちで場所を作るしかなかった。

その中から生まれたのが「The Wild Bunch」というDJコレクティブだ。1983年に活動を始めた彼らは、ブリストルのクラブ「The Dug Out」を拠点に、ヒップホップ、レゲエ、ファンク、ソウルをミックスする夜を作り続けた。後にMassive Attackとなるメンバーたちはここでそのスタイルを磨き、Trickyもここから出発した。ジャンルの起点は、特定の音楽的発明よりも先に、この場所と人々の集まりの中にあった。

音の作り方

トリップ・ホップの音楽的な骨格はシンプルに言えば、「ヒップホップのビート構造に、それ以外のあらゆるものを乗せる」だ。ジャズ、ダブ、電子音、50〜60年代の映画音楽、ポスト・パンク。ビートのテンポはダウンテンポ寄りで、踊るよりも沈んでいくような感覚を作る。

特徴的なのは「汚す」という選択だ。デジタル技術が進化し、音楽制作が次第にクリーンになっていった90年代に、トリップ・ホップのアーティストたちはあえてレコードのノイズを残し、古い録音の質感をサンプリングに乗せた。これは技術的な限界ではなく、意図的な美学だった。

音楽学者はこれを「オーペイク・メディエーション(不透明な媒介)」と呼ぶ。通常の録音では技術的なプロセスを透明にして素材そのものを際立たせようとするが、トリップ・ホップはむしろその「技術の痕跡」を前景化した。傷、ノイズ、テープの質感。それらは欠陥ではなく、音楽の成分だった。

サンプリングの参照先も独特だった。Portisheadは50〜60年代のスパイ映画音楽を好んで使い、DJ ShadowはBeatlesから映画音楽まで膨大なヴィンテージ・レコードを素材にした。ヒップホップが同時代の都市を題材にしていたとすれば、トリップ・ホップは過去の音の廃墟を掘り返すことで、別の時間軸を作り出した。

何を体現していたか

1994年はOASISのデビューアルバム『Definitely Maybe』とPortisheadの『Dummy』が同じ年に出た年だ。ブリットポップが「いまここの祝祭感」と英国への自信を鳴らしていた同じ時代に、トリップ・ホップは孤独感、喪失感、都市の不安をアンダーグラウンドから照らしていた。

Trickyの『Maxinquaye』(1995)は、ウィスパーボイスと不穏な電子音が溶け合う、個人的な解体の記録のような作品だった。ある批評は当時のイギリスを「政治的な行き詰まり、文化的な停滞、そして若者たちのブロックされた理想主義」と描写し、その音楽との対応関係を指摘した。Massive Attackも後のインタビューで、監視社会への不安感や多文化的なイギリスの緊張をサウンドに込めていたと語っている。

ジャンルとしての寿命は短かった。96〜97年をピークに急速に退潮し、主要アーティストたちは活動休止するか方向を変え、「トリップ・ホップ」という言葉自体もチルアウト、ダウンテンポといった別の言葉に吸収されていった。

残ったもの

しかし音楽的な影響は消えていない。むしろ形を変えながら拡散し続けている。

Gorillaz、Radiohead、Deftones、Lana Del Rey、FKA twigsといったアーティストたちへの影響はよく指摘されるところだ。ヒップホップ的なビートと沈んだムードを組み合わせる感覚は、Billie Eilishのサウンドにも流れている。また現在のローファイ・ヒップホップというジャンルは、サンプリングとノイズをめぐる美学の点で明確にトリップ・ホップの子孫にあたる。

「汚す」美学は正しかった、という言い方もできる。クリーンな音が当然になった時代に、あえてノイズを選ぶという姿勢は、その後も形を変えながら、音楽の中に繰り返し現れている。

主なアーティスト

アーティスト

拠点

代表作

Massive Attack

ブリストル

『Blue Lines』(1991年)、『Mezzanine』(1998年)

Portishead

ブリストル

『Dummy』(1994年)

Tricky

ブリストル

『Maxinquaye』(1995年)

DJ Shadow

アメリカ・カリフォルニア

『Endtroducing.....』(1996年)

Morcheeba

ロンドン

『Who Can You Trust?』(1996年)

Sneaker Pimps

イギリス

『Becoming X』(1996年)

Lamb

マンチェスター

『Lamb』(1996年)

Kruder & Dorfmeister

ウィーン

『The K&D Sessions』(1998年)

後半の4組は、ブリストル勢の成功のあとに「トリップ・ホップ」として括られた人たちだ。ジャンル名が先に広まり、あとから音が集められていった経緯がここにも表れている。

おすすめの入り口

Massive Attack『Blue Lines』(1991)

Portishead『Dummy』(1994)

Portishead『Roseland NYC Live』(1998)

Tricky『Maxinquaye』(1995)

DJ Shadow『Endtroducing.....』(1996)

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