『踊る大捜査線 N.E.W. メトロポリスを駆け抜けろ!』映画レビュー|継承しない青島

『踊る大捜査線 N.E.W. メトロポリスを駆け抜けろ!』映画レビュー|継承しない青島

この映画をひと言で言うと

キャラクターも、スタッフも、『踊る大捜査線』という看板も揃っている。一流の材料が揃っているのに、料理はいまいち。14年ぶりの新作は、そういう一本だった。

作品の背景・前情報

監督

本広克行

脚本

君塚良一

プロデューサー

亀山千広

出演

織田裕二、趣里、白洲迅、佐々木蔵之介、増田貴久、ユースケ・サンタマリア、伊藤淳史、滝藤賢一ほか

公開

2026年9月18日

上映時間

142分

あらすじ

東京で誘拐事件「225事案」が発生する。犯人は警視庁に着任した青島俊作を身代金の運び屋に指名し、失敗すれば街を爆破すると脅迫する。同時に3Dプリンター拳銃による連続殺人やウイルステロの脅迫も起き、AIの判断に頼るようになった警察組織の変貌も明らかになっていく。

1997年のドラマから始まったシリーズは、2012年の『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』でいったん幕を下ろした。2024年に『室井慎次 敗れざる者』『室井慎次 生き続ける者』の二部作で再始動し、本作はその次にあたる。

『室井慎次』のラストがどうしても許せず、不安を抱えたまま観た。監督・脚本・プロデュースは、『室井慎次』二部作に続いて、1997年のドラマ版からの初期メンバーが務めている。

本作に室井慎次は登場しなかった。前作の結末を受けてのことだ。不在は不在で、残念ではあるが、室井がいないから面白くない、という話ではない。不在でも、もっと面白くはできたはずだ。

シリーズの成り立ちと、ドラマ版が何を発明したのかについては、Podcastにて。公開前の収録です。

『THE MOVIE 3』『THE FINAL』の弱点が、いまだに直っていない

RHYMESTER宇多丸さんがTBSラジオ『ウィークエンド・シャッフル』で、『踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!』と『THE FINAL』を評していた。そこで挙がっていた君塚脚本の問題は2つある。

ひとつは、登場人物がどうこうではなく、事件がどんどん勝手に解決していく話の運び。もうひとつは、現代的な社会問題っぽいテーマを盛り込もうとするが、それが大して機能していないこと。もっと言えば、偏見のような形で浮き彫りになってしまうこと。

この2つが、本作でもそのまま残っている。

冒頭で王さんがまた出てくるが、その扱いも今観るとどうなのかと引っかかった。事件の真相で扱われる若者の問題も、問題提起として機能しているようには見えない。なんとなくそういうキャラ付けにした、という以上のものが伝わってこなかった。

芝田ひばり(趣里)と美浦秋(白洲迅)の若手二人が「若い世代」として、事件に関わる若者の気持ちも分かる側に置かれる場面もある。ただ、二人も10代ではない大人だ。彼らの発言により解決へ向かう場面があるが、果たして若者の気持ちがわかる人物としての脚本は正しいのか。若者という一括りでしか扱われていないように見えた。

AIの扱いも同じだ。本作ではAIを使って捜査をするが、それが結局何をしたいのかがよく分からない。パソコンにプログラムをカタカタ打ち込む場面も、描き方として古い。

いかりや長介さんが演じた和久平八郎の言葉を学習させ、声だけが出てくるAI、和久AIも登場する。故人の声をAIで再現すること自体ちょっと気持ちが悪いが、それはまあ良い。捜査用のAIがすでにあるのに、わざわざ和久さんまでAIにする必要を感じなかった。AIが流行っているから使ってみた、というおもちゃ以上には見えない。言葉を学習させたところで、そこに新しい考え方があるわけでもない。

ネット上で言われていることを信用しない目線も、変わっていない。1997年のドラマ版では、インターネットはまだすごく新しいものだった。当時はその距離感が時代にバチッとはまっていた。月日が経って時代が変わっても、いまだにSNSやインターネットを信じきれていない。君塚脚本は変わらないまま、時代のほうが変わった。

ここまでくると作中に出てくる「幸福支援部隊」の、結婚することこそが幸せだという価値観も、ギャグでやっているのか本気なのか分からない。

7つの大罪になぞらえて『セブン』のようなことをやりたかったのかと思えば、結局ギャグにしてしまう。何がしたいのかが見えなかった。

お台場のカモメから始まり、長回しは消えた

ギャグが多いという声はSNSでも賛否が分かれている。もともとこういうテイストだった、という意見も分かる。ただ、それにしても多すぎる。そして全体的に古い。寒いと感じてしまった。

オープニングはお台場から始まり、カモメの声が鳴る。久しぶりなのだから、ここはもう少し尺を取ってもよかった。そこから新宿のほうへカメラが移っていく演出は良かった。ただ、いつものテーマ曲はしっかり使ってほしかった。

カメラの長回しで会話劇をしながら、後ろのほうで人がわちゃわちゃ動いている。『踊る大捜査線』に特徴的なその画面が、今回はなかった。

歴代のキャストはいろいろと出てくる。お祭り騒ぎという点は良かった。ただ、ちょっとずつ顔を出すだけで、話に直接関係がない形での登場ばかりだ。キャラクターが生きていない。もったいない。

細かいことを言えばきりがない。場面ごとにツッコミどころがある。

青島は、和久さんの年齢になっても変わらない

事件があれば飛んでいってしまう。青島はドラマの頃から何も変わっていない。この変わらなさを良しとするかどうかで、本作の見え方は分かれると思う。

和久さんの年齢になって、警察という組織を理解し、下の世代へ受け継いでいくキャラクターになっていたなら、まだ良かったかもしれない。和久さんから青島へ受け継がれたものを、青島から次の世代へ渡す話でもよかった。『ロッキー』から『クリード』へ、あるいは『トップガン マーヴェリック』のように、年月を経て作られた続編には世代交代を描いたものが多い。

本作はその方向を取らなかった。『踊る大捜査線』は、あくまで青島という人物を描いていくつもりなのだと読んだ。青島が和久さんの年齢になった今、シリーズを復活させる意味は、そこに出ていない。

室井さんとの約束の話もふわっとしていた。青島が現場に残る理由は何なのか。そこが話の芯になるのかと思っていたが、この映画の一本の筋が何だったのかが伝わってこなかった。

それでも、織田裕二が画面に映ると絵になる。『室井慎次』の時もそうだったが、やはり『踊る大捜査線』だと感じさせる力がある。

久しぶりの続編がお祭り騒ぎでも面白くなった例として、『プラダを着た悪魔2』がある(レビューはこちら)。ちゃんと料理すれば、十分面白くなるはずなのだ。

ファン向けの映画としては、これはこれで正解なのかもしれない(とはいえ、私もリアルタイムからのファンなのだが)。良くも悪くもそれが『踊る』らしい、と言ってしまえばそれまでだ。続編を匂わせる終わり方で、次への序章という読み方もできる。ただ、序章だから弱くていいということにはならない。映画館で上映するなら、一本の映画として成立させるべきだ。

テレビドラマのスペシャルだったら、まだ許せたと思う。一本の映画として観ると、全体にあまりに弱く、チープすぎた。ドラマ版とスペシャル版までは本当に面白かったシリーズだけに、『THE MOVIE 3』と『THE FINAL』の延長線上でしかなかったことが、非常に残念だ。

一方で、『踊る大捜査線』というコンテンツを令和の今、劇場で観られたこと自体は否定しない。グッズの展開、CM、他企業とのコラボ。そういうお祭り騒ぎを見られたことは、良かったのかもしれない。

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